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幹部人材/選抜者/エリート育成専門-プラトン、カント、ヘーゲル

専門用語を使わない教養研修・リベラルアーツ研修 「大人のための人格教室」

「教養とは、当たり前とされていることを疑う能力を培うこと。古典を学んでも知識が増えるばかりで単なる自己満足に終わっていたら、全く意味はありません」
(弊社代表コメント、東京新聞 『こちら特報部』 ビジネスマンよ 哲学を学べ 狙いはリーダー育成 より )

企業人にとって、古典/教養は「読むもの」ではなく「使うもの」

"社員の人格と人間力"を育てるリベラルアーツ/教養教育 (深く気づき、深く考える
社会人・企業向けリベラルアーツ研修  No.1:「大人のための人格教室」

1.ビルドゥングについて

現在のビジネスパーソンの最大の弱点とは何でしょうか?
それは「職業人としての能力は高いが、一個の人間
としての 能力 は必ずしも高くない
」ということです。

戦略、会計、マーケティング、業務プロセスに、人/組織
・・・どれも「ビジネス領域の能力」です。
では、仕事と直接関係しない「人間としての質を左右する能力」、
特に 「金/利益/損得などとは異なる仕事で重視されない
領域の能力
」 はどうでしょうか?

人事部長は3人が研修で学んだスキルを生かせずに悩んでいる原因が分からなかった。
でも私は分かった。

3人とも
 「組織とは何なのか」
 「仕事とは何なのか」
 「組織の中で働くということはどういうことなのか」
という「そもそも論」が分かっているようで実は分かっていなかったのである。

教科書的な能書きではなく、その人自身の人生観に基づいた「組織観」や「仕事観」が希薄だったのである

スキル以前に大切なものがあるのだ。
しかし多くの会社や多くの個人はこのことに気づいていない。

(出所:中沢努「思考のための習作」)  


これからのビジネスパーソンに必要とされるものは「ビジネススキル」+「人間としての質を高める教養」です。
ビルドゥングは、パンセ・ソバージュ・アンド・カンパニーのアカデミックなバックグラウンドである「哲学」と経営コンサルティングの場で得られた「現場での経験」が融合したユニークなメソッドによって行われる社会人・企業向けのリベラルアーツ教育です。

2.大人のための人格教室について

大人のための人格教室のテーマは「人間」です。
  • 人間をどう見るか?
  • 人間をどう考えるか?
というテーマで具体的な事例を用い、
  • 深く知り、
  • 深く考え、
  • 深く気づいて
いきます。
そして、
  • 「少し考えてみる」という経験を通じて自分の人間観を知り
  • 「深く問う」という経験を通して人間に対する理解を掘り下げていきます。

 

教材からの抜粋例 (1):人間観を鍛える

垢まみれで黒光りする体にボロを纏い、異臭を放つ浮浪者が駅の階段にうずくまっていた。
浮浪者の周囲はすえたような臭いで満ちていた。

ある人はわざと見ないようにし、ある人はそれとなく避けて通ろうとしていた。
多くの人がそこを通り過ぎて行った。人々は何を思っただろうか?

お気の毒にと思った人も中にはいただろう。しかし多くは「じゃまだ」「迷惑だ」「離れよう」と思いながら通り過ぎたのではないか。

ここでちょっと視点を変えてみる。

  • もしあなたの親が何かの事情で浮浪者になり、行くあてもなく、何も食べられず力尽き、意識も朦朧で駅の階段に横たわっていたとしたら、その浮浪者をゴミのように見つめた通行人をどう思うだろうか。
  • あなたの子供が将来、何かの事情で浮浪者になり、今にも息絶えそうな状態で駅の階段にうずくまっていたとしたら「イヤなものを見てしまった」と目を背けた通行人をどう思うだろうか。

汚いものを汚いと思うのは当然である。異臭は異臭である。近づきたくないと思うのも自然である。

行政の責任だとか、人々の善意だとか、そういうことを言っているのではない。
浮浪者と自分で働き生きている人とは違うのであり、そこに差が生まれるのはやむを得ないのが現実だ。

しかし、そういう人だったとしても、その人も人間である。
こういう人間観だってあるのだ。

(出所:中沢努「思考のための習作」) 

 

教材からの抜粋例 (2):職場の景色から人間を考える

その1
 「うちの会社は即断即決」と言っておきながら即断即決しない会社は信頼できない。
その2
 「人事の納得性を高めろ」と人事部に命じておきながら自分の報酬額公開を断る社長は信頼できない。
その3
 「お言葉ですが、それは見直すべきです」と役員に苦言を呈さないのに部下にはよく苦言を呈する部長は信頼できない。
その4
 「不得手を直せ、苦手を克服しろ」と部下に発破をかけておきながら自身の不得手には挑戦せず、そのつらさを味合わない課長は信頼できない。
その5
 「あの上司のここがダメ」という割には自分のダメなところに無頓着な社員は信頼できない。

信頼に足りぬ人間とは「発言と行動が一致していない」人間である。
信頼に足りる人間とは「発言と行動が一致している」人間である。

これは「どこまで出来ているか」という問題というよりは「どこまで本気でそうあろう」と思いつづけ、悩み続け、その不十分さに自己嫌悪し続けられるかという問題である。

(出所:中沢努「思考のための習作」)

 

世界で通用する優秀な組織や人材は、経済性だけでなく社会性と人間性を併せ持ち、広い視野で考え行動します。
・・・その領域にまで達した企業だけが自らを誇り、称賛される。
・・・その領域にまで自分を高められた社員だけが生き残れる。
  • 仕事の質はそれをやる人間の質に依存します。
  • 人間の質ビジネススキルだけでは高まりません

これからの企業は「人間としての質を上げる教育」をしなければならないのです。

対象 中堅社員及び管理職(幹部人材/選抜者/エリート候補)
定員 少人数で行います。
講師 弊社代表 中沢 努
内容 お問い合わせ下さい。
備考

その他教材 (A)

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)とその後の原発事故(福島第一原子力発電所事故)。
学者、技術者、識者、財界人・・・。多くの人が(自分たちの)「これまでの常識を反省する」言明を行いました。

  • でも、彼らは「本当に反省した」のでしょうか?
  • まだ、彼らの中に「その時の言葉」は生きているのでしょうか?

そして、私たちは・・・

  • 「以前の日常」に戻ってしまっていないでしょうか?

誰もが知っていることだが、宇宙旅行に丸腰で行くことはできない。
水や空気や食物がないからだ。

この事実からもわかるように、人間は人間だけで生きることができない。
あたりまえのことだが、私たちはこのあたりまえのことを日常において忘れている。

例えば地球環境。
・科学(サイエンス)の力で環境を保護する。
・技術(テクノロジー)の力で地球を守る。

聞こえはいいが、私にはとても危うく感じる。
なぜか?

なぜなら「サイエンス」も「テクノロジー」も「人間が自然や環境を支配/操作する」という思想や意志がその根本に潜んでいるからである。

その意味において、科学や技術で地球を守るというのは50パーセントの正解でしかない。

残りの50パーセントは何か?
「人間は人間だけで生きられない」という事実を直視し、その事実にひれ伏し、謙虚になることである。

中世ドイツの神秘思想家ニコラス・クザーヌスは、"ドクタ・イグノランティア"=「知ある無知」ということを言った。
それは「人間が持つ知性の限界を知り、考えるのではなく直観することではじめて人間は神を捉えることが可能になる」という意味である。

悟性で神を理解することなどできないというのだ。

私はこれを「知性で自然を捉えることなどできない」と読み替える。

自然はただの"もの"ではない。
木にせよ、水にせよ、空気にせよ、それらがトータルに循環してはじめて意味をなす有機物である。では、自然を有機体としてトータルに循環せしめているものは何か?

それは人間ではない。
それは人間を超えた"何か"であり"超越物"であり、"神"である。

悟性で神を理解することなどできないように、人間は知性の産物である「サイエンス」や「テクノロジー」で自然をものにすることなどできないのだ。

だから私たちは自然や、自然を自然たらしめている"何ものか"をいじろうとするのではなく、ひれ伏し、只々謙虚にならねばならない。

(出所:中沢努「思考のための習作」)


「自分に」問いかけ、「自分で」考えてみて下さい。
 ・・・地球は誰のものでしょうか?
 ・・・人間は「地球に生きている」のでしょうか?、それとも「地球に生かされている」のでしょうか?
 ・・・あなたは「以前の日常」に戻ってしまっていませんか?

その他教材 (B)

(その2)
誰だって痛いのは嫌だ。
誰だって楽をしたい。
誰だって自分の欲を満たしたい。

でもそこまで自分に正直なるのであれば、そこで止めてしまわず、もっと正直になればいい。

痛みを避けるためには、相応の代償を求められる。
楽を続けるためには、相応の代償を求められる。
自分の欲を満たし続けるためには、相応の代償を求められる。

そしてその代償を払わずに済ますことはできない。
これまでその代償を払わずに済んできたとしたら、それはいずれ大きなツケとなってあなたにはね返ってくる。
それを無視したら、そのツケは他の誰かに付け替えられる。
あなたのために、見知らぬ誰かが割を食うのだ。

自分の都合のいいことにだけ正直になるのではなく、自分の都合の悪いことにも正直になるべきであると私は感じる。


強く、強く、感じる。

(出所:中沢努「思考のための習作」) 


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